双葉のしおり

読んだ本の感想と紹介をするブログです

レイ・ブラッドベリ『火星年代記』

数年前までSFというジャンルには全く興味がなく、触れることもなかった。
SFというと、宇宙戦争だったり、エイリアンだったり、ともかくそういう大味でやたらとサイエンティフィックなものだというイメージしかなかった。
食わず嫌いが直ったきっかけは『百億の昼と千億の夜』を読んだことだった。
阿修羅王というキャラクターの存在が兎にも角にも衝撃的で、なぜ今まで忌避していたのだろうと後悔したものだった。


SFとの出会いはここまでにして、『火星年代記』である。
長編という括りにはなっているようだが、短編連作といった印象に近い。
地球からの探検隊が火星に初めて着いた時代から、年代順にさまざまな人々の物語が並べられている。

作中で火星に最初の探検隊が到着したのが1999年、最後の物語が2026年のできごとである。
1990年から2005年までは毎年何かしらの物語があるが、2005年から2026年の間はない。
つまりほとんどの物語は今の時代よりも過去に位置していることになる。
(ちなみに『火星年代記』が著されたのは1950年)

読み手の年代と作中未来像のギャップは、この手の近未来モノ(かつ、時代が西暦で明記されているもの)では避けられない運命だ。
名作であればあるほど後世に残り、ギャップはどうしても広がっていく。
作中に描かれるような人間の業はたかが50年とちょっとで変わるものではないから、テーマ自体が色褪せることはない。
けれど、どうしても年代が出てくるとそこで現実に引き戻されてしまう自分がいる……少し悲しい。

もう一つ、違和感を抱いたのは火星に移住した人類の発展の速さだ。
移住が始まって4年ほどで火星の各地に街ができ、人が暮らしている……いくら火星に簡単に行けるほど科学技術が発達していたとしても、早すぎやしないだろうかと思う。

だがブラッドベリがアメリカの作家だと考慮すれば、分からなくもない話かもしれない。
二次大戦頃のニューヨークの写真を見たことがあるだろうか。
その次代の日本はといえばせいぜい数階建ての建物が並んでいる程度であるのに、ニューヨークには既に高層ビルが立ち並んでいたというではないか。
火星年代記』が著されたのは冷戦の時代を迎えてからではあるが、それでもアメリカはずっとずっと豊かだっただろう。
そもそもアメリカという国の成り立ち急激なものだ。
火星に作られた地球人の町が恐るべきスピードで発展してゆくと想像してもおかしくないかもしれない。

ハンス・ベンマン『鏡の中の言葉』

引き続きハンス・ベンマンの作品。

随所に寓話の挿入されるファンタジー。
メルヘンを寓話と訳すことについては賛否両論あろうが、『鏡の中の言葉』においてはかなり教訓的な内容のものが多いので、今回に限っては「寓話」で問題無いだろう。

実際の雰囲気としてはSFに近いようにも感じるのだが、とりあえずはファンタジーと分類しておく。

物語の舞台は、言語が政府によって制限された国。
主人公が知人に出した手紙を出版、という形式をとっている。

政府による言語の制限は「言葉の意味は必ず一つ」というものや「時制がない」など。
ただ、言語の多義性云々という問題よりは「メルヘンのない世界」を描きたかったように見える。

というのも、物語の大筋よりも間に挿入されるメルヘンのパートの比重の方が重く見えるのだ。
『石と笛』よりも『千夜一夜物語』のような枠物語の要素が強いように見える。

悔しいのは原文を読むのと訳されたものを読むのとの差があまりに大きいことだ。
「言葉」が重要なキーなのだから仕方なくはある。
訳者もさぞ苦労したことだろう。

ハンス・ベンマン『石と笛』

文庫は1、2、3上下の全4巻。
原語での出版は1983年、日本での単行本は1993年。

それぞれの巻がそれなりに厚く、かなりのボリューム。

ジャンルとしては「ファンタジー」と説明するのが無難であるように思う。
作者は『石と笛』はメルヘンでありファンタジーではないと説明しているのだが、それはガンダムのを一切知らない人に「ガンダムモビルスーツだ」であるといきなり語るようなもので、まずは馴染みのある分類に当てはめておこうと思う。

文庫版の表紙は安彦良和によるもので、カラーの口絵もある。
絵自体には何の問題もなく素晴らしいのだが、題材のチョイスが凶悪なのが玉に瑕。
表紙はまだマシだが、口絵は本編の内容のひどいネタバレで、絵が綺麗なばっかりに人目で内容がわかってしまうのが更に恐ろしい。
間違っても次の巻の口絵を確認するなんてことはしてはいけない。
まとめて4冊購入した場合は早いうちにカバーをかけてしまうのがオススメ。

物語は主人公「聞き耳」の一生をたどる。
彼は決して品行方正な人間ではなく、特に2部の展開は苦手に感じる読者もいるように思う。
個人的には3部の雰囲気や展開が好きなので頑張って読んで欲しいとは思うが……

昨今話題になるファンタジー作品に比べると全体的に古臭い印象があるのは否定出来ない。
これは翻訳物というだけではなく、『石と笛』がファンタジーではなくメルヘンだと説明される部分も要因だろう。
「メルヘン」の訳し方には色々あるが、「童話」や「寓話」とするのが無難だろうか。
良く言えばメッセージ性が強く、悪く言えば説教臭い。
1983年よりもずっと前の作品にも感じてしまう。

古めかしさとカタさ、物理的にも内容的にもずっしりとしたボリューム感を求めている人には勧めたい作品。

吉野裕子『狐―陰陽五行と稲荷信仰 (ものと人間の文化史 39)』

物語や信仰の中で扱われる狐のイメージがどのように形成されていったかを探る一冊。

実際にいる動物のキツネと中国の陰陽五行説における狐の2つから考察しているが、主に後者を中心にまとめられている。


狐から連想されるイメージのうち、実際のキツネの生態が由来と考えにくいもの
(例えば、「稲荷の使い(実際は稲荷神よりも狐の方が信仰を集めている…)」「狐火」「赤い鳥居」など)
を陰陽五行説をベースに整理している。

ともかく何もかもが陰陽五行に結び付けられているため、多少強引な気もするが筋は通っている。
例祭・創建の日と陰陽五行の結びつけについては若干弱い部分があるようにも感じたが、その他の部分については納得できることばかりだった。
特に稲荷山の神が蛇から狐に変わったという話は非常に興味深かった。

筒井康隆『旅のラゴス』

オススメの本を紹介するblogか何かで見かけて購入した本だ。


巻末の解説を見る限りジャンルはSFなのだが、印象としてはファンタジーに近い。
主人公のラゴスは目的を持って、故郷を出て、目的を果たし、そして帰ってくる。
その世界には、テレポート等の不思議な能力を持っている人がいたり、変わった動物たちが暮らしていたりする。


1986年の作品だから、もう30年前のものになる。
それだけ時間のたった作品が、未だに本屋で平積みされていたりおすすめの本として挙げられたりしているのは、それだけ時代にとらわれない作品だということだろう。

技術は常に発展しているから、現代を描く作品というのは難しい。
いま我々が毎日普通に使っているスマートフォンの存在だって、10年、20年先に同形を変えているか分からない。
今の生活に当たり前にあるものが、十数年後には消えてなくなって、未来の読者には古臭い道具としか見えなくなってしまう。


その点、SFやファンタジーというジャンルは時代の流れに強い。
そもそもの舞台設定がウソなのだから、多少の矛盾や違和感もフィクションだから、と流すことができる。

使われている言葉が古くなるほど時間が経ってしまった時には、おすすめされなくなる時が来るかもしれない。
だが、それまでは確実に残り続ける作品だ。

中島京子『小さいおうち』

ある一家に使えた女中の回想録。

映画は見てないですし、絵本の方の「ちいさいおうち」の内容はよく覚えてない。
たぶん昔絵本の方は見たことある……はず。


回想の合間に挟まれる現在のタキがあまりにもそれらしい雰囲気だったので、てっきり作者もそれぐらいの年齢かと思ったのだが、まだ50代と思いのほか若かった。

戦前・戦時中の都会人の生活について、かなり調べたんだなぁという印象。
ストーリーの方は、タキにも時子にもあまり共感できるような感じではなかったので、それほど没入はできなかった。


ひとり気になる登場人物を上げるとするなら、時子の友人の睦子だ。
出版社に勤める睦子は、まさに戦争を煽るマスコミ、と言ったような言動を繰り返す。
見ようによっては、いかにもろくでもないマスコミの人間だとか、周囲に振り回されるだけのミーハー女と思われてしまうだろう。

だか時子との関係を思うとなんだか物寂しさも感じる人物だ。
一度夫を亡くしてはいるものの、再婚して幸せな生活を送っている華やかな時子。
一方の睦子は、独身のキャリアウーマンで、恋人も居ない様子。

作中で睦子が時子を好きだったことはほのめかされる程度で、肝心のタキがそれをはっきりと分かってないのもいい。
想像の余地がある。
時子が夫と共に防空壕で死んだと聞いた時、睦子は何を思ったのだろうか。

サン・テグジュペリ『夜間飛行』

久しぶりなのは読書をサボっていたと言うだけではなく、時間のかかる本を読んでいたというのもある。

サン・テグジュペリといえば『星の王子さま』で、私自身も小学生の時に読んだ本だ。
星の王子さま』自体はかなり好みの作品だったが、「作者で読む」ということをすすんでしない質だったせいか、彼の他の作品には触れずにいた。
結果的には、長い間触れないでいたのは正解だったと思う。
少なくとも、小学生が読むような作品ではない。


収録されているのは「夜間飛行」と「南方郵便機」の2作品。

「夜間飛行」は本の題にもなっている作品だ。
操縦するといえばせいぜい自動車ぐらいの現代人にとって、飛行機、しかもGPSもない時代に暗い砂漠の上を飛行するのがどういうことなのか、実感として掴むのは難しいだろう。
まして、砂漠ですら見たことがないというのに。
だが、リヴィエールの持つ不安については、現代人にも通じる所があるのではないかと思う。


「南方郵便機」これが強敵だった。
訳者があとがきにて「読者に精読を要求する」だけあって、真面目に読まないと、内容を全くつかめない。
おそらくもともとの文章にも難解な部分があるのだろうが、訳が古くなってしまっているのも一因なのではないだろうか。

隙間時間に少しずつ読み進めていたのだが、一体誰の話なのかわからなくなってしまうことが度々あった。
主人公が行方不明になる度にページを戻し、前回読んだところまでの内容を何とか思い出す。
それこそ砂漠をさまようような気分だった。

読み終わって思ったのは、これは一気に、そしてじっくり読むべき作品だということだ。
また時間のある時にチャレンジしてみようと思う。


そうだ、敗因はもう一つある。
それはアフリカの地理に疎いということだ。
次読む時は地図も用意しておこうと思う。